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layers text by kei houraku

いま (初出 2007年12月23日18:47)



“もっと好きなものを好きと言う感覚や 
電車でひとりで本を読んで笑いたくなっても我慢しないことや 
道端でふと見かけた 真顔が笑顔でステキな誰かに 
直接「あんたサイコーだよっ!!!!!」と伝えたくなることとか 

普段押さえつけている歓びを もっと救わなければいけないなって思います 






アイラブユーって言うために アイラヴミーって言うんだ ”

ことば を 選ぶ (初出 2007年11月01日15:24)

ありがとう は 有り難う じゃない 



意味は正しいかもしれないけれど 
送り手ののことば ではない 
声や匂いがしない 

「ひと」は「人」なのか 
「だれ」は「誰」なのか 
「ことば」は「言葉」なのか 

すべてのことばに 広がりがある 
手書きならば僕は 
「丁寧」を「ていねい」って 
「変換」を「変かん」って 書いたりするかもしれないのだ 


パソコンで文字を打つと ついつい 
オートマティックにスペースキーを押して変換しているけど 
便利さの代わりに 失っているものがあるということに 
もっとセンシティブになるべきだと思う 


だれかに ことばを伝えることは 
わかればいいだけではない 
そのことばの文字の印象をもっとていねいに 




カタカナ ひらがな 漢字 アルファベット 
選ぶことは 
よりはっきりと じぶんのことばを伝えることだと 
思うから 

だからあんまり考えたことがないひとは 
ちょっと軽く 一瞬だけでいいから 
これでいいかな? って考えてみたら 
今まで伝えられなかったものが 伝えられるんじゃないか って 

思ったりする

“路上観察にしろトマソンにしろ、それが面白いといっても、それはただ見ることで、作ることではない。それでいいのか。ちゃんとした作品を創出しなくていいのか。そんな思いが隠然と、脳の片隅から消えずにあった。”


“カメラをどじょう掬いの笊のように構えて街を進みながら、その笊に採取されたものの魅力は、それらが透明感をまとっているということだった。人間の作為にまつわるねちねちがない。ねばならぬのねばねばがないというか。つまり自力思想の外に出ることのできた快感というものが、見ることの中に潜んでいるのを、徐々に自覚していったのである。

そのことに確信を持ったのは、白洲正子の自画像をみた時であった。生前に何度かお会いする機会があったが、没後、ある雑誌で特集が組まれた。その時、屋根裏から若き日の自画像や油絵の習作が見つかったので、それを見て白洲論を、ということで見せていただいたのである。

一目見て苦しい油絵だったが、ああ、白洲さんにもまず描かねば、まず作らねばという、見ることを二義的とする思いにのしかかられた時期があったんだと直感し、感無量だった。それをしかし自らの絵筆の不器用という才能によって、重苦しく克服しながら、見る方を優位とする世界を抜け出ることになったのだ。

自分にも身にしみてわかることである。絵が好きで、その良さがありありと見えているのに、自らの不器用によってそこから隔離される。美が見えてなければ不器用でさえないものを、美が見えるから、不器用の壁があらわれる。そんな自分を通して、人間が作ることの壁と見ることによる壁抜けを、確信として持ったのだろう。

もう一つは岡本太郎だった。この人も既に亡くなっていて、その存在、内容については言うまでもなく有名だけど、彼が写真をあんなに撮っていたとは知られていないことだった。

ぼくも学生時代、岡本太郎の本にずいぶん勇気づけられたし、その考え方や言動に感動した。でもその油絵などの作品は、もう一つ好きになれなかった。言葉の論理に導かれてすごい作品だとは思うのだけど、好きという正直な感覚に到達しない。

ところが死後、壮年期の取材活動で撮影したものが写真集として出版されて、それを見て圧倒された。文句なく好きになった。岡本太郎はじつは見る人だったんだと直感した。はじめて眼前に現れる日本列島の、末端部の、物陰の、微細部分を夢中になって撮っている、その踊るような眼差しに吸い込まれた。この人、作品よりも目のほうが飛び出している、と思った。

岡本太郎は描くこと、創ることを第一義として出発しすぎて、そのことに齟齬を感じながらも、あるいは齟齬を感じる暇もなく創ることに殉じてしまっていたのではないか。”

赤瀬川原平「見ることへの体重移動」(美術手帖 2004年8月号)より抜粋

10cmでも 5mmでもいいから

今の君を未だに苦しませる過去があるなら
そんな過去はさっさと捨ててしまおう。


いくら君が過去に縛られて悩み苦しんでいようが
周りの人にその過去は見えないから
今の君しか見えないから
周りの人は途方に暮れる。
周りの人が「なんで?」と疑問をいだいても、
その原因が見えないから答えを出せず、
いつしか君のことを思う気持ちに疲れて不満が重なる。
重なった不満は徒労感を招き、距離が生まれ、
いつしか離れ離れになってしまう。
誰も悪くないのに、そういう結末を迎えてしまう。
ものすごくもったいない。


君の周りに君のことを
大切だと思ってくれる人がいるのなら
信じようとしてくれる人がいるのなら話してみようよ。


そのことを伝えることが怖いのはわかる。
だって何も悪いことをした覚えがないのに、
世界に存在を受け止めてもらえず
きちんと話をしてもらえず 聞いてもらえず
人とつながることを拒否されてきたんだから。
「世界は自分の存在を許してくれない」と信じこまされて信じこんで
自分だけの世界を作って、その中で生きてきたんだから、当たり前だよな。
人に自分のことを開くことが怖くてたまらなくて、
生きるために一人で世界を作り込んで
それでやっと生きてきたんだから、仕方ないよな。


だけど、君はもう
自分がこうなってしまった仕方なさを、
どうしようもない自分のことを、
そしてその仕方なさを自分一人で抱えるにはあまりにも辛くて
けどどうしたら良いかわからなくなっている。
そしてその姿は周りに誤解を生み、必要のない絶望を生み出している。


それは君が望んだ世界だろうか?
きっと違うと思うんだ。
君はもうあきらかに限界だ。
友達が分かり合えなさを抱えるのももう限界に来ている。
君はいいやつだし悪い奴じゃないけど
自分に声が届かないことに友達はやるせなくなっている。
そんなの嫌じゃん。そんなのどうしようもなくて悲しいじゃん。


過去の苦い記憶や経験が今でも君を苦しませているのなら、
そんな過去はさっさと捨ててしまおう。
もし捨てれない過去なら近しい人に預けよう。
自分だけが抱えている、自分の物語を近しい友だちに渡そう。
自分の力だけで自分のことを肯定できないんだから力を借りよう。
誰も悲しませないために、周りの人たちが笑顔になるように。
今までの自分の物語を、考えてきたこと悩んできたこと良いことも悪意も全部
話し聞かせて、物語の主人公を友達の中に置かせてもらおう。
友達はただ否定も批判もせずに、ただその人が言うことを信じてあげればいい。
「つらかった」っていうその言葉を遮らないようにしよう。
「たのしかった」っていうその言葉にただ素直に「うん」ってうなずいてあげよう。


共にその主人公に期待しよう。
友達の中にいる主人公(自分)を動かして成長させて変化させて、
その友達を楽しませよう。
わかってくれる人はいないんじゃない。明らかにいるんだ。
あなたの仕方なさをあなた以外の誰かが受け止めてくれるってことは
実はいくらもあるんだ。信じられないかもしれないけど
これはやっぱり事実なんだ。


そうやって人は生きているんだ。
人が支えあって生きるということが
ずっとひとりで生きてきた君にはよくわからないかもしれないけど、
そういうふうにしてなんとか人は生きているんだ。


どうしたらいいかわからなくなっている君へ。

とりあえず話そう。
自分だけでは抱えきれなくなっている自分の物語を。
ものすごく怖くて、怖くて怖くて怖くて怖くてどーしようもないだろうけど
周りの人の顔を見てみよう。そんな奴ばっかりかい?
そんなわけがない。そんなわけがない。
君のことを受け止めてくれる人はきっといる。
だから、そのほんの一歩でいいから、その一歩を踏み出そう。
踏み出せない君のことも知っているからさ、
こっちはできるだけそういう君を見つようとするからさ、
見つけやすいように、ちょっとでもその一歩を出してくれないか。
一歩じゃなくていいから、10cmでも5mmでもいいから。
見つけ出すから、その指先だけでいいから見つけやすいように
出してくれないか。
きっと見つけるから。待っててくれないか。
辛くなったらまた戻していいから、
絶対見つけるから、諦めないでいてくれないか。

「表現」についてのメモ

1.

【表現】ひょうげん (名)スル ①内面的・精神的・主体的な思想や感情などを,外面的・客観的な形あるものとして表すこと。また,その表れた形である表情・身振り・記号・言語など。特に,芸術的形象たる文学作品(詩・小説など)・音楽・絵画・造形など。

→【客観的】きゃっかんてき (形動) 個々の主観の恣意(しい)を離れて,普遍妥当性をもっているさま。⇔主観的。

→【恣意・肆意】しい ①その時々の気ままな思いつき。自分勝手な考え。「会長の━によって方針が左右される」 ②物事の関係が偶然的であること。「言語の━性」

→【普遍妥当性】《(ドイツ)Allgemeingültigkeit》哲学で、真理や倫理的・美的価値などに備わっている、いつどこででも承認されるべき性質。

⇒表現者とは何か?

2.
“表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ
そうだったのだ。表現するということは、つまり、相手とのコミュニケーション打ち切りの宣言でもあり、だからこそ、表現者は言い訳をしてはいけないんだ。”

表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。- 茂木健一郎 クオリア日記 より
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/11/post-b58a.html

3.
“間違っているけど魅力的な理屈。それを人は「面白い」と呼びます。”
岡田斗司夫-「あなたを天才にするスマートノート」より

参考:
「岡田斗司夫のひとり夜話「vol.6アドバンストノート術」
(2/2)自分にとっての真実を見つけよう
http://www.youtube.com/
watch?v=klwWjsvlfYg
(〜3:10あたりまで)

“頭の変な人は例外なく論理的”
岡田斗司夫のひとり夜話「ノート術」(06/12)
http://youtu.be/
MjcGPfZNJh8?t=3m57s
(3:57あたりから、「論理とは何か」)

4.
個人的雑感
「おもしろいことほど間違っていて、ものすごく主観的で偏っている。伝わらないってことは、つまらないってことじゃない。おもしろすぎるってことは実はひどく複雑なものだ。だからこそ、それを伝えるためには高い表現力が必要とされる。表現力がそこまでなくてもキチンと伝わることは、実はそんなにおもしろいことじゃないかもしれない。」

誰に向けての言葉か (初出 2008年11月03日)

さびしかったことは力になるよ

悔しかったことは力になるよ


人を傷つけた苦い思いは ひとをやさしくするよ
ひとに傷つけられた経験は ひとをやさしくするよ


例えば子供の今いじめられている君のことを思うと
確かにつらくてもう嫌だって思っていることだろう
だけど
君は今 力をつけている
君は今からもっと ひとにやさしくできる
「いじめ」を肯定なんかしないけど
君は誰よりも前を向く力をつけている

いじめられるのは君が目立つからだ
みんな君が気になって仕方がなくて
どうしたらいいかわからないか からかうんだ
君はたいそう魅力的な人間だ

つらい場所にいるひとは
力をつける
どうしようもないくらい大きい生命力みたいなものを手に入れる
悔しい思いをしているほど
笑顔を「にっこり」できる
君の笑顔を見る度 ひとは笑顔になってしまう

君は生きている
悔しい思いをしながら
さびしい思いをしながら精一杯生きている
その前を向く姿や意志は君の血となり肉となる
君をずっと支え続ける骨になる

大丈夫大丈夫
辛いことはいつかは終わる
我慢するのも大変だ
だからそんなあなたの辛さがどっか一瞬でもなくなってしまうような
そんなことを君に届けよう
「死んでしまうと受け取れないから悔しい
だから死ぬもんか!!!!」って思わず思わせてしまうものを君に届けよう

僕が幸せになるために (初出 2008年07月17日)

 僕は幸せになりたい
だからあなたに幸せになって欲しい
不幸になって欲しくない
僕の周りに不幸があるだなんて僕を不幸にする気か?
好きなように生きて
生きていて楽しいって思って欲しい

あなたが幸せになるために
僕が幸せにならなきゃならない
あなたが僕を見て 悲しい顔をするのは嫌だから
そんな顔されるのは僕のプライドが許さないから
僕は幸せにならなきゃいけない
生きていて楽しいって思わなきゃならない

誰かの不幸を望むことは僕が不幸になることだ
そんなのは嫌だから
僕は僕のために幸せにたのしく生きたいから
あなたの幸せを祈る望む行動する
僕のために幸せになって欲しい
僕のためにもっともっと笑って欲しい
腹かかえるくらい 痛くて声が出なくなるために
楽しく好き勝手に生きて欲しい

僕のためだ 全部僕のため
「勘違いするんじゃねぇぞ?
僕が幸せになるためだ!あなたのためなんかじゃ決してない!」
僕が幸せになるために
思うこと望むこと行動すること

だからあなたに幸せになって欲しい
僕ために 僕のために
不幸になったら許さない
不幸にならないために できることはなんでもしてやる
できないことは なんとかしてやってやる
僕が幸せになるために

個人的、岡田斗司夫まとめ

2011年は個人的に岡田斗司夫の思考を存分に吸収した一年でした。


特に後半の半年間。ネット上に岡田斗司夫のコンテンツはたくさんありますが、その中で自分の中で残ったものをざっくりとまとめてみました。
ふっている番号に特に意味はないので、気になったものでもいいので見てみてください。


1.岡田斗司夫のひとり夜話
「好きなことでお金を稼ぐにはどうすればいい?」
http://youtu.be/lSCdPehxNHk


2.”人間は本質的に「確立」というものを理解できない生物”という観点から見る、
自己啓発本の存在意義”
http://t.co/VJABbb4 


3.「読解力」とはどういう事か?それを磨くとは一体何をしているということか?
1/2 http://youtu.be/4_x5ZHeSbhE
2/2 http://youtu.be/6xlwIt_wKmQ


4.才能×運×コネ×時間(年数) 、「決断をするコツ」
http://t.co/BSpLXyx


5.[悩みのるつぼ]クラス替えでビミョーです
http://blog.livedoor.jp/otakingex/archives/51256823.html


6.この回答すごいな。信じるということの力を信じてる。
圧倒的に肯定することが「何か」をきっと起こすと信じてる。
-[悩みのるつぼ]おかしくなった二人の息子 http://t.co/wLdzvy9


7.[悩みのるつぼ] 姪に嘘はダメと教えたい (回答編)
http://blog.freeex.jp/archives/51303547.html


8.[悩みのるつぼ] 母親の浮気知って (回答編)
http://blog.freeex.jp/archives/51292077.html


9.無料です。評価型経済社会について。 - 岡田斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』PDF版 http://t.co/cJX6gxc


10.岡田斗司夫のひとり夜話

「ノート術」(04/12)オカダノートの効用
http://www.youtube.com/watch?v=AMSplf6UUcQ
4以降〜を見てください(論理的に考えることとは何かが理解できます)


↑これの書籍版
11.あなたを天才にするスマートノート: http://www.amazon.co.jp/dp/4163735704


12.よく悩んで苦しむ人はこれ読むといいと思います。
自分でどうにかできない部分まで苦しむ必要はないってことをもっと知ったほうがいいかなと。- とんの読書ブログ : 岡田斗司夫大阪イベント「悩む努力をやめましょう」講義メモまとめ http://t.co/QGBpPYo
UST動画 http://www.ustream.tv/recorded/12793127 


13.岡田斗司夫「ネットが人の頭を悪くする可能性について」(※ 25分ぐらいから~)- 岡田斗司夫のひとり夜話 2008/5/12
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00661/v07338/v0733800000000536704/


14.岡田斗司夫 - 週刊SPA!特集「気力が溢れ出る」超簡単な方法 インタビューノーカット版 (33:03) #nicoch #so15681913 http://nico.ms/1316696133


15.「企画に行き詰ったらどうするか?」
『プレジデント』誌12月12日(月)発売号 岡田斗司夫インタビュー全文
前編 http://blog.freeex.jp/archives/51300634.html
中編 http://blog.freeex.jp/archives/51300637.html
後編 http://blog.freeex.jp/archives/51300638.html


16.”「過程」を望む者は「結果」を求めるべきじゃない。
成功したい、という「結果」を求めるんだったら、過程は選ぶべきじゃない。すなわち「好きなことをして」とか言っちゃダメだ。「成功するに決まってること」をするべき。たとえそれがどんなに面白くなくて意味のない仕事だとしても。「過程」か「結果」か。人生は常に二択だと思う。” http://otaking-ex.jp/top.html

2011年11月10日16:30分頃の近況アップデート

落ちる時はテッテー的に落ちたほうがいい。
底にいる時は思いきり絶望して死んだ顔して毎日を過ごせばいい。
閉塞感に息をつまらせて苦しくなってだけど動けないという悪循環の中にいればいい。
逆らおうとせずに、ただただ絶望的な感情に自身を預けて、死にたがっていればいい。
ヘッドフォンで爆音で音楽をかけて、世界と自分を絶ち切っていいし、
自分だけたった一人になればいい。
耳元の音楽の音量が気にならないくらいに、世界との繋がりなんか麻痺してしまえばいい。
衝動のままただただ意味ももなくノートに線を描き殴り続ければいい。
ひどい絵を描けばいい。
ひたすらにネットしたり、ゲームしたり、無心になりたきゃなればいい。
そういうところに身をおいて、そのまんま任せる。
落ちる時は落ちたほうがいい。
とことん落ちてしまったほうがいい。


そうした中である時ふと何かが心に引っかかって、
ふとその心の底の部分から顔だけは出すことができて、
ひどく冷静に世界のここから向こう側見通せる瞬間がある。
絶望の反動だろうけど、けど
ここから何かが始まるような気がしたりする。


無理はしないで、その状況に身を任せればいい。
ポジティブシンキングなんて、やれる時にやっときゃいいんです。
「前向きな人間」も「後ろ向きな人間」もそんなのいるわけがない。
そんな感情の大抵は環境に作用されるもので
習慣づいた癖みたいなところが想像以上にあったりするから。

まぁなんというか、今自分が
その底から少し顔を出せたので文字を書き連ねているわけです。
皆が同じような心の動きかどうかは知らんけれども
けど僕自身の事実ではあるので書いてみたりするわけです。


世間で現実逃避と呼ばれる名前の行為は
現実を見ているからしててしまうわけで実は現実逃避じゃないわけです。
曲解せずに受け止めようとするから苦しいわけで、そういう人に
「現実逃避」という言葉を投げつけても意味が無いと言うか、
苦しい現実をひとつこしらえるだけなわけだったりするわけで。


まーきつかったらすぐにでも友達に電話したほうがいいけどね。
相手からしたら怖い人になるかもだけど、いくらでも着信履歴残せばいいと思うし、
会えるなら会ったほうがはるかにいいし。
けど友達なら別にいいじゃんと思うけどね。
それがどういうことかは、自分でそこから知っていけばいいと思うし。
別にそれはやったらいけないことでも、
やったからって嫌われることでもないしね。
それをやったことがない人は甘えたほうがいいと言うか、
甘える「べき」だと思うけどね。「甘えろ!」って命令形な物言いで。

今自分が気持ちにそのまんま身を任せてみたのも、
友達に頼るようなことを何度かしてきた結果
今の自分があえて選んだ選択肢だったりしたわけで。
これから人の助けを借りることはないと言っているわけではなく
今はそれがなくても大丈夫だったというだけで。

まー今思うことはそんな感じです。 
甘えたい奴は甘えたほうがいいのよ。
その方がラクだし何よりも楽しいからね。

どうやっても自分とつながっていること

嫌いになったほうが楽だなんて
なんて人はメンドクサイんだ

けどそういうことは
好きでそうしたいわけじゃないから
仕方なくてそうするのだから
なんて人はメンドクサイんだ

傷ついてしまうことのほとんどは
傷つけられることよりも
傷ついてしまうことがほとんどで
それも勝手に傷ついて
なんて人はメンドクサイんだ


悪意まみれのどうしようもない仕方のなく湧いてくる身勝手な感情を抱きつつも
必死に自分を守ろうとする感情に襲われつつも
それも別にいいよと許しながらも
最終的にどうしたいかを考える
どんな自分でいたいのか
どの感情を肯定したいのか大切にしていたいのか
考える



そして ふと選ぶ
「ふと選ぶ」なんて言って
実ははじめからそいつを選んでいたことに気付いて
「ふと選ぶ」なんて実はただの照れ隠しみたいなものでしかない事に気づいて
ただただ嬉しくなる
少なくとも寂しくはなくなる

繋がりたい自分とつながること
そうすれば胸を張れる
そうすればどんな悪感情もどうでもいいと思える
自分が最終的にどうしていたいのか
そのことをよく忘れていい加減な選択肢を選ぶけれども
表面的な感情に振り回されるけれども
そのたびに乗り越えていこう
なんとかなんとか
それさえ忘れなければ
いつだってなんとか笑っていられるから
そうしていこう
余計な感情に振り回されず
ただただ
手放したくない感情の隣にいよう